2010年11月22日

大八廻りのクモハ123系

小野~塩尻

「風っこうとう号」第2日往路撮影後、前日のようなすれ違いを避けたいとの思いから復路の営業運転はは1回戦で収めることにして再び善知鳥トンネル小野寄りへ行き「クモハ123系」を捕捉

 今では塩尻~辰野~岡谷ルートは中央線「支線」という捉え方のようですが塩嶺トンネル、みどり湖経由のショートカット路線ができる前は辰野経由以外の中央線はありえませんでした
 飯田線だと勘違い方もいるようです。地元では「大八廻り」または辰野線と呼ばれてもいるようです
「大八廻り」とは?
以下、ウィキペディアより要点引用
 伊藤大八(いとうだいはち)(1858年-1927年)は長野県下伊那郡上殿岡村(現在の飯田市上殿岡)出身の帝国議会衆議院議員。
1894年(明治27年)、中央本線誘致に木曽谷と伊那谷で熾烈な誘致運動が起されたが、結局、木曽谷経由に決定された。当時鉄道局長を務めており、この決定に失望した伊藤は、せめて伊那谷の一部にだけでも駅を誘致するべく奔走。塩尻峠経由ではなく、上伊那の辰野経由に変更することに成功したといわれている。地元では伊藤の功績を称えて、同線の旧線(辰野支線)を別名で「大八廻り」と呼ぶこともある。
しかしこのルート選定に関しては、当時も塩尻峠経由だと峠頂上のトンネルと前後の急勾配、急曲線が不可欠で予算や工期、それに建設当時の蒸気機関車の性能運用面からは非現実的という説も極めて有力であり、いわゆる「我田引鉄」の伝説の一種である可能性も高い。現在の塩嶺トンネルのような延長約6kmのトンネル掘削は明治中期の技術面を考えれば困難なものであったと考えられる。



ストレートなので予想外に速度があってパンタグラフが切れてしまった

  

Posted by 64ウォッチャー at 20:51Comments(0)クモハ123系(塩尻~辰野)

2010年11月22日

雨の田立駅

EF64 田立駅 EF64 1040+1003 下り

今日の昼の下りは原色1機だったので34号機かと思ったら1040号機でした



朝の下りは見逃してしまったので‥  

Posted by 64ウォッチャー at 17:18Comments(0)中央西線-木曽路

2010年11月22日

ネピアの気動機関車

王子製紙㈱春日井工場専用線 春日井駅

中央線春日井駅で接続している工業路線です
以前、たまたま目撃したので先週、再訪してみましたが春日井駅のホームに着いた時、
機関車は工場へ去って行ってしまいました



春日井はけっこう行くのに時間がかかるので気合を入れて朝早く出掛けなければなりません



かといって、高速を使って行くほどの距離でもないし‥



次回は工場の途中に踏切があるらしいので行ってみたいな~

  

Posted by 64ウォッチャー at 12:28Comments(2)私鉄

2010年11月22日

天竜川岸をゆく「風っこうとう号」

川岸~岡谷

善知鳥(うとう)トンネル小野側の撮影後、岡谷へ到着
第2日の2回戦目です
峠越えもせねばならず観光のクルマが多くまたも時間ギリギリでした





善知鳥トンネルではあまり見えなかったので主役風っこのテールを後追いで
  

Posted by 64ウォッチャー at 07:12Comments(0)風っこうとう号