2010年12月11日

クモハ123系ブルサンに被られそうになる

塩尻~小野

大門を小野に向かってゆくクモハ123系



後追い
しかしこの時、息はゼイゼイ上がっていました
なぜなら‥



123系塩尻駅発車時刻にブルーサンダーが大門へ入線!



待機するんかぃ~icon08
100m全力疾走で123系の見える後方のポイントへ移動!
なんとか辿り着けました


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Posted by 64ウォッチャー at 04:57Comments(0)クモハ123系(塩尻~辰野)

2010年11月22日

大八廻りのクモハ123系

小野~塩尻

「風っこうとう号」第2日往路撮影後、前日のようなすれ違いを避けたいとの思いから復路の営業運転はは1回戦で収めることにして再び善知鳥トンネル小野寄りへ行き「クモハ123系」を捕捉

 今では塩尻~辰野~岡谷ルートは中央線「支線」という捉え方のようですが塩嶺トンネル、みどり湖経由のショートカット路線ができる前は辰野経由以外の中央線はありえませんでした
 飯田線だと勘違い方もいるようです。地元では「大八廻り」または辰野線と呼ばれてもいるようです
「大八廻り」とは?
以下、ウィキペディアより要点引用
 伊藤大八(いとうだいはち)(1858年-1927年)は長野県下伊那郡上殿岡村(現在の飯田市上殿岡)出身の帝国議会衆議院議員。
1894年(明治27年)、中央本線誘致に木曽谷と伊那谷で熾烈な誘致運動が起されたが、結局、木曽谷経由に決定された。当時鉄道局長を務めており、この決定に失望した伊藤は、せめて伊那谷の一部にだけでも駅を誘致するべく奔走。塩尻峠経由ではなく、上伊那の辰野経由に変更することに成功したといわれている。地元では伊藤の功績を称えて、同線の旧線(辰野支線)を別名で「大八廻り」と呼ぶこともある。
しかしこのルート選定に関しては、当時も塩尻峠経由だと峠頂上のトンネルと前後の急勾配、急曲線が不可欠で予算や工期、それに建設当時の蒸気機関車の性能運用面からは非現実的という説も極めて有力であり、いわゆる「我田引鉄」の伝説の一種である可能性も高い。現在の塩嶺トンネルのような延長約6kmのトンネル掘削は明治中期の技術面を考えれば困難なものであったと考えられる。



ストレートなので予想外に速度があってパンタグラフが切れてしまった

  

Posted by 64ウォッチャー at 20:51Comments(0)クモハ123系(塩尻~辰野)

2010年11月11日

朝のクモハ123系

塩尻~小野

レトロ大糸線1日目の朝、同日、松本15:00発上りの「なごみE655系」を撮る予定だったのでロケハンに行ったら遭遇
しかしその日は結局、「EF64 38」に付きっ切りでした‥



朝日の逆光
場所はみどり湖方面の路線とすぐに別れたあたりです  

Posted by 64ウォッチャー at 14:59Comments(0)クモハ123系(塩尻~辰野)

2010年10月18日

ワイン切り☆蕎麦in桔梗ケ原コンコード

そば屋 しみず

昨日は遠方から客人がきたので塩尻で蕎麦を食べました
そこでサービスで提供されたのが写真の
ご当地ワイン、桔梗ケ原コンコードを更科蕎麦に練りこんだ
変わり蕎麦「ワイン切り」です
微かなワインの香り、しかも岩塩でいただき、いい話のタネになりました
 もちろん、メインの蕎麦も楽しみました
注文したのは
「玄蕃之丞」手挽石臼で粗挽きした八ヶ岳山麓蕎麦
「高ボッチ」更科(一番粉)・挽きぐるみ(二番粉)・田舎(三番粉)三種類の蕎麦がセットになったメニュー
でどれも個性が違い、一度に5種類もの蕎麦を味わえるとは大満足でした
 そば屋 しみずさんのHPは下のURLからどうぞ
http://dela.shiojiri.ne.jp/~sobaya/


123系塩尻駅にて

辰野~塩尻間で活躍している電車。車体の両端に運転席があり、単行運転できるローカル線向け車両だ。
国鉄時代に新製してすぐに使用用途がなくなった荷物電車クモニ143形を改造し1986年に誕生。JR東日本には1両のみ存在。


  

Posted by 64ウォッチャー at 04:27Comments(0)クモハ123系(塩尻~辰野)